Music
Last Album 『放熱の証』より
〜 Mama, say good-bye 〜
1990年12月、尾崎豊は独立、自分だけの事務所を設立し、
新たな「夢」と「自由」をもとめて復活を誓った。
尾崎豊の母は、その事務所に朝霞の実家から毎日のように通った。
業界の仕事がわかるはずもなかったが、それでも、片道一時間半かけて、息子のもとに毎日通い続けた。
そして、案じていた長期にわたるBirthツアーも無事終わり、
息子尾崎豊のようやくの復活に胸をなでおろしたことだったろう...。
1991年、12月28日、
遅くなってしまった孫たちへのクリスマスプレゼントを買いに行くために出かけた朝霞の駅で突然倒れ、
尾崎豊の母は、そのまま帰らぬ人となってしまった。
母が最後に手にしていた切符を尾崎豊は自分のバックに入れて、いつも手元に大切に持っていた。
母の死から、4ヵ月後、その切符を自らのバックに残し、尾崎豊もあっけなく母の元に旅立ってしまった....。
尾崎豊という人は、つくづく、心で創作する人だったと思う。
創作することで、自分の心にひとすじの希望の光がともるのを感じるときもあれば、
創作することで、さらに孤独のふちに追い込まれてしまうこともあっただろう。
尾崎豊は、最愛の母をなくした悲しみすら、
言葉につづり、曲をつくり、振りしぼるように魂で歌おうとした....。
お母さん 世界中の全ての疲れた心が癒されるように
歌い続けて行くからね。
歌い続けることは叶わなかったけれども、あなたの歌は今も、どこかの疲れた心を癒し続けている
夜明けまであとすこし 俺はハイウェイを走る
疲れた心が今 過ぎ去る時を抱えている
夜空に揺らめく静かな星屑たちは生き急いでいる
その答え知るようだ
たった一人 こうして見つめている
闇の中 明日が続くならば
溢れて零れる たった一粒の涙
星になった貴方の温もり 今でも覚えている
貴方を覚えてきた 振り返ることもなく
夜のながさの片隅にだけ 暮らしを見つめながら
愛を育んで 費やした日々
休むことも知らず 生きる答えは何故
ねえ教えて ささやかな人生の願いは一つでも叶ったの
誰にも見せぬように 一人零していた
貴方の涙を 今でも覚えてる
きっと人は やがて深い闇の中で
一人自由な 夢叶えて眠るのだろう
だからお眠りよ もう何も悲しまなくていい
貴方の残した人生は さよならの言葉さえ、聞けなかった
本当のさよなら ずっと夢みて その安らかな笑顔で